来春からの教科書
2015年 04月 07日
「東京」では・・五輪でのボランティアガイドを希望する生徒が多い・・ともかいてある。
いや、正確には「東京では」とは書いていない。東京のとある中学名がかかるてる。
たしかに、世の中に、「五輪を1つの目標に英語を習得しようーーー」という意識があることは確かだ。
「外国人」に多くふれる機会があるところはそうだろうな・・。
成田エクスプレスにのると、コーヒーいかがですか?とまわってくるが、もちろん、英語での対応OK。
新国立美術館で、何気なく守衛さんに道をきいても、「英語」での対応OK、
こういういい方は失礼だが、「え、こんなところで、できちゃうの?」という場面に遭遇する場合がある。
でも、よく考えたら、彼らは仕事だし、そう、私たちの中学までの義務教育で、「後から」でも、「必要な会話」はおぼえられるはず・・・好き嫌いは別にして。
そこに「オリンピックだから。。。。」と・・・いっても、直接関わらない地域も多い。いや、オリンピックが開催されるのはうれしい。
もちろん、栃木県の『日光』には、観光客が増えるかもしれない。だから、「日光」では、「五輪を1つの目標に英語を習得しよう」はいいかもしれない。
でもそうでない地域は??
というか、今、英語の点数がとれる・とれない・・で差別化されてるわけだけれど、今度は、英語がしゃべれる、しゃべれない・・で差別化されていくんだろうな。
で、このしゃべる・しゃべれない、は声にでないと、判断できないわけで、ここには性格もからんでくるわけで・・
「人、それぞれできること、できないことがあっていいんじゃない?」
と昨今思うのだが・・
で、できることは、できる人にまかせて・・
それは「ツール」として使えるかどうかのはずだから、それとは別に、義務教育の間に
なんか、違う視点で、「英語」なるもの楽しめるといいなあ・・と思うのですが・・
もちろん、「学問」としての英語は、大学で専攻すればいいんだけれど・・
とうも、「ツール」としての英語が強調しすぎられてるような・・
ツールとしての英語は、そのうち、ドラエモンじゃないけれど、自動翻訳機ができるかも・・
それより、何が伝えられるか・・でしょ。
うーーん、話しが支離滅裂。
by hanz01jp | 2015-04-07 12:16 | 一人ごと | Comments(0)